今回は江戸時代の日本橋が描かれた『熈代勝覧』の面白さをご紹介いたします!
『熈代勝覧』は、文化2年の江戸日本橋を描いた縦43.7cm、横1232.2cmの長大な絵巻(作者は不明)。
この絵巻は1999年にドイツのベルリンで発見されました。
画題の「熈代勝覧」は「熈(かがや)ける御代の勝(すぐ)れたる景観」を意味します。
発見以来、化政期の江戸の文化を知る上で貴重な史料として注目されています。
この絵巻には江戸時代の賑わいや生活がいきいきと描かれており、見ているだけでタイムワープできる絵巻物です。
熈代勝覧の舞台
熈代勝覧に描かれている場所は、日本橋川に架かる日本橋から竜閑川に架かる神田今川橋までの南北約7町。764mを東から俯瞰する形になります。
ここは現在、日本橋の中央通りにあたりますが、当時は通町と呼ばれていました。現在では三井グループなど大手企業のオフィスビルが立ち並び、ビジネス街の印象ですが、江戸時代の熈代勝覧の舞台では、問屋が隈なく立ち並ぶ江戸一の商店街だったようです。
ちなみに、描かれている町は絵の右、即ち北から日本橋本銀町二丁目(通白銀町)、日本橋本石町二丁目(通石町)、本石町十軒店(十軒店)、日本橋本町二丁目(通本町)、日本橋室町三丁目、同二丁目、同一丁目になります。
熈代勝覧全図
横1232.2cmもある絵巻物なので、とても長く一枚の絵として見るのは大変です。
そこで横スクロールで見ることができる動画を見つけましたので、そちらも載せておきます。
動画の方が見やすいかと思います。
熈代勝覧に登場する店や人々
店舖・問屋
熈代勝覧には88軒の問屋が登場します。暖簾に屋号が精密に描かれているので、そのまま店舗一覧としての資料になります。
有名な店舗もたくさん登場しますので、チェックしてみると良いでしょう。
For Example 、三越は当時、呉服店越後屋として登場していますし、刃物問屋の木屋、大手書肆須原屋は善五郎と市兵衛の2店舗あります。
現在の店舗と見比べるのもおもしろそうですね。
江戸の町人
熈代勝覧に描かれている人数を数えると、なんと1671人。
そのうち女性は少なく200人しかいません。
江戸時代の江戸の町は、推定で、男性が2人に対し女性が1人という、女性が非常に希少な状況でした。
当時は、「参勤交代」という制度があり、たくさんの武家の男性が江戸に集まったことが背景にあります。
また、田舎で仕事がない農家の二男三男も、仕事を求めて江戸に流れてきました。
都会だったので、建設工事など、男用の仕事がたくさんあったのです。
そのため、女性の数に対して、男性の数が極端に多かったのです。
熈代勝覧には通行人以外にも、様々な人々がいきいきと描かれています。
振売、辻占、読売など路上の商人、六十六部や勧進僧などの僧侶、寺子屋に通う親子など。
また人間以外人も動物もたくさん登場します。
数えると、野犬20匹、馬13頭、牛車4輌、猿飼の猿1匹、鷹匠の鷹2羽が描かれているそうです。
熈代勝覧は江戸のどの時代なのか
描かれているものから推理すると熈代勝覧の時代は文化2年(1805年)の設定であることがわかります。
この年は遠山の金さんこと遠山金四郎がまだ12歳、外国だとナポレオンのトラファルガーの海戦、アンデルセンの誕生などがあった年です。
- 勧進集団の一人が「文化二/回向院」と書かれた勧進箱を舁いでいること。
- 描かれた日本橋界隈は翌年3月4日の文化の大火で全焼しているが、店舖の配置は大火前のものであること。
季節は、お雛様の雛市が描かれていることから3月の節句前が推測されますが、日本橋魚河岸の鰹や日本橋川で遊ぶ子供が登場することから特に季節は限定されていないようです。
熈代勝覧は誰が描いたか
熈代勝覧は誰が描いたのでしょうか?
「左潤之印」の白文方印及び「東洲」の朱文方印があり、書家佐野東洲の手によることがわかります。
ただ、絵師を示すものは何もなく、現在のところ不明となっています。
佐野東洲は文化初年に一時期山東京山を婿養子にとっていることから、その兄であり、北尾政演の名で絵師としても活躍した山東京伝ではないかと見る説が一般的です。
題字には「熈代勝覧 天」とあることから、もとは「天」「地」の二部作、或いは「天」「地」「人」の三部作であった可能性が高いと推測されています。
いまのところ、現存しているかも不明です。
もしかすると他の巻は同じ通りを反対の西から俯瞰したものか、日本橋より南側の同じ通り又は交差する本町の通り、若しくは隅田川や吉原遊廓など江戸の他の名所を描いた可能性もあり、発見が熱望されています。
熈代勝覧はどうやって発見されたか
熈代勝覧は、1995年に、ベルリン自由大学生物学教授であり中国美術収集家のハンス・ヨアヒム・キュステルと妻インゲが親戚宅の屋根裏で発見しました。
その後、自身が会員として所属するベルリン東洋美術館(現ベルリン国立アジア美術館)に他の収集品と共に寄託しました。その時は中国美術と思われていたようですようですが、1999年キュステルの死後、遺品整理の際に、日本の作品と改められたということです。
現在も、「熈代勝覧」はベルリン国立アジア美術館(旧ベルリン東洋美術館)の所蔵となっていますが、日本には2回里帰りを果たしております。
(2003年江戸東京博物館「江戸開府400年博物館10周年記念 – 大江戸八百八町展」、2006年三井記念美術館の「開館記念特別展II – 日本橋絵巻展」)
熈代勝覧のアニメーション
最後に、熈代勝覧が描かれた3分15秒のアニメーションをご紹介します。
過去の人々と現代の人々が融合されたアニメーションで、2017年度グッドデザイン賞を受賞したものです。
熈代勝覧を知っていても知らなくても楽しい、何度も見返したくなるテンポの良いアニメです。
なぜか再生数が少ないので、もっとたくさんの方に見てほしいと思い取り上げました。